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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)12650号 判決 1991年9月30日

原告

横田建設株式会社

右代表者代表取締役

横田庄平

右訴訟代理人弁護士

木村一郎

横溝高至

被告

右代表者法務大臣

左藤恵

右指定代理人

小磯武男

谷口悟

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一請求

被告は、原告に対し、金二億二五八一万九五〇〇円及びこれに対する昭和六二年九月三〇日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、登記簿を改ざんされた土地をその所有者と名乗る者から買い受けて土地代金を詐取された原告が、登記官の登記簿の閲覧監視義務違反等を理由に、国に対し、国家賠償法に基づき、損害賠償を求めた事件である。

一本件土地の売買

1  原告は不動産の売買及び仲介、建築請負等を業とする会社であるが、昭和六二年二月一二日、永見博嗣から、マンション建設用地として、「沼上平治」と称する者(以下「沼上」という。)が所有するという埼玉県熊谷市銀座三丁目一二番の宅地1264.09平方メートル(本件土地)の紹介を受けた。その際、原告は、永見から、ファックスで浦和地方法務局熊谷支局(本件登記所)の本件土地の登記簿謄本(本件登記簿謄本)の送付を受けた。その甲区二番欄には、甲区一番欄の前所有権者長島恭助の所有権移転登記に続き、「昭和六壱年四月弐壱日受付第七参弐〇号 原因 昭和六壱年四月壱五日売買所有者 熊谷市大字新堀壱〇七八番地参 沼上平治」なる記載及び、登記官浅見名義の印影(本件記載)があったので、原告は、沼上が本件土地の所有者であるものと信じ、昭和六二年二月一五日、沼上との間で、本件土地を代金二億円で買い受ける売買契約(本件売買契約)を締結した(<書証番号略>、証人雨宮孝行、同永見博嗣、原告代表者)。

2  原告は、本件土地の所有権移転登記手続を司法書士荻野要次に委任した。荻野は、昭和六二年二月一八日、本件登記所に赴いて同所備付けの本件土地の登記簿原本(本件登記簿)を閲覧して、甲区二番所有権移転登記欄に、本件記載があることを確認し、さらに、本件登記所に対して本件土地につき沼上から原告への所有権移転登記申請(本件登記申請)をし、右登記申請の受理証明書の交付を受けた。原告は、沼上に対し、右売買代金二億円を支払い、同日、沼上から原告への所有権移転登記を経由した(<書証番号略>、証人雨宮、同永見、原告代表者)。

二不正記入

ところが、沼上名義の所有権移転登記は、右同年三月一一日、本件登記所の登記官により、不正記入を理由に消除され、次いで、同月二六日、沼上から原告への所有権移転登記も職権抹消されたが、本件登記簿への不正記入は、何者かが、本件登記簿に本件記載を不正に記入してされたものである(当事者間に争いがない)。

三争点

(原告の主張)

1 登記官の過失

(一) 閲覧監視義務違反

本件不正記入は、閲覧の機会を利用してなされたものであり、本件登記所の登記官には、登記簿を閲覧させるにあたり、閲覧場所を登記官の面前の常時監視できる場所に設置し、登記用紙の抜取り、持ち出し、改ざん等がなされないよう厳重に監視すべき注意義務を怠った過失がある。

(二) 登記簿謄本作成交付についての過失

本件登記所の登記官には、登記簿謄本を作成、交付するに当たり、登記簿原本に不正記入等がないかを十分調査し、不実な登記簿謄本を作成し、交付しないようにすべき注意義務を怠った過失がある。

(三) 登記済印等の保管・使用についての過失

本件記載には本件登記所において当時使用されていた活字等が使用されており、また、本件登記申請の際に添付された登記済権利証には本件登記所において当時使用されていた「登記済」印等が使用されていたから、本件登記所の登記官には、「登記済」印等を不正使用されないように保管すべき注意義務を怠った過失がある。本件記載は、本件登記所の内部の者によって不正に記入された疑いが強い。

(四) 登記申請書受理についての過失

本件登記申請に添付された書類のうち、登記済権利証及び印鑑証明書は偽造されたものであり、固定資産評価証明書は登記義務者のものでなかったから、本件登記所の登記官は、右提出書類に当然に疑念を抱くべきであったのにこれを看過し、本件登記申請を受理した過失がある。

(五) 職権抹消登記の違法性

前記の沼上名義の所有権移転登記の消除及び原告への所有権移転登記に対する職権抹消(不動産登記法一四九条一項)は、同法四九条二号の「事件が登記すべきものに非ざるもの」に該当しないにもかかわらず行われたものであるから、違法である。

2 損害及び因果関係

原告は、改ざんされた本件登記簿の本件記載及びこれに基づいて作成された本件登記簿謄本の記載を真実であると信じて、真実は権利者ではない登記名義人沼上を真の所有者と誤信したこと及び原告がした所有権移転登記申請が受理されたことにより、本件土地につき売買契約を締結して、次のような売買代金等合計二億二五八一万九五〇〇円を支払い、右同額の損害を受けたので、登記官の過失と原告の損害には相当因果関係がある。

(一) 売買代金 二億円

(二) 仲介手数料 九〇〇万円

(三) 所有権移転登記手続費用二万九五〇〇円

(四) 土地調査料 五〇万円

(五) 弁護士費用 一六二九万円

以上合計二億二五八一万九五〇〇円

(被告の主張)

被告は、本件不正記入がされた態様並びに登記官の過失の有無及び損害との因果関係を争うとともに、仮に過失があったとしても過失相殺されるべきであると主張する。

第三争点に対する判断

一本件不正行為の態様

1  証拠(<書証番号略>、証人石田貞三、同斎藤英好及び同甲山八郎)並びに弁論の全趣旨によれば、本件の不正記入の態様は、沼上から原告に対する本件売買契約の申込みに先立ち、何者かが、本件登記所における登記簿の閲覧に際し、ひそかに当該登記簿冊そのものを外へ持ち出し、又は登記簿冊から本件登記簿の登記用紙を抜き取ってこれを外へ持ち出した上不実の記載をし、登記官名義の偽造印を押印した後、再び閲覧の機会を利用して右改ざんされた登記用紙を含む登記簿冊を返還し、又は改ざんした登記用紙をひそかに登記簿冊に差し込み、これを返還するという態様で行われたものであると推認される(右不正記入の態様を「本件不正行為」という。)。すなわち、証拠(<書証番号略>、証人石田)によれば、本件記載は、正規のものと酷似する活字を使用するなどして登記簿原本に直接されていることが認められるところ、登記所外部の者が登記簿原本を入手するには、登記簿閲覧の機会を利用したと考えるのが最も自然であり、また、本件記載は、前記のとおり正規のものと酷似する活字を使用するなどして巧妙に偽造されたものであるから、閲覧の場所で直ちに処理できるようなものではなく、その偽造にはある程度の時間を必要とするものと考えられるが、そのためには、前示した本件不正行為の方法による以外の手段は考えにくいと言わざるをえない。また、証拠(<書証番号略>、証人甲山及び同斎藤)によれば、右甲山らは、登記簿を改ざんした土地を売り付けて売買代金を欺し取ることを常習としていた犯行グループの一員であり、本件不正行為にも何らかの関与をしていたと推認されるところ、右犯行グループは本件登記所以外の登記所においても本件不正行為と同様の手段による登記簿の偽造事件を敢行していることが認められる。そうすると、本件記載もまた、閲覧の機会を利用し、登記用紙の抜取り、改ざんによりされたものと推認すべきであり、他に右推認を覆すに足る証拠はない。

2  この点、原告は、本件記載には本件登記所で使用されている活字等が使用されているから、本件不正行為は、本件登記所内部の何者かが行ったものである疑いが強いと主張する。しかし、本件記載における活字の大きさ、形状、配列等が本件登記所における正規のものと酷似しており、また、登記官浅見名義の印影は、本件当時本件登記所に在任していた登記官浅見友三が使用していた印章の印影と酷似しているものの、いずれも同一ではなく、偽造されたものであることが認められ(<書証番号略>)、他に原告の主張を認めるに足りる証拠はない。

二閲覧監視義務違反について

1  登記の閲覧に関する登記官の一般的注意義務

登記事務は、国家が行う公証行為であり、右登記事務を担当する登記官は、国の公権力の行使に当たる公務員である。そして、不動産登記制度は、国が不動産に関する権利関係を公示して国民の閲覧に供し、もって不動産取引の安全の確保に資することを目的とするものであり、不動産登記簿は、右不動産登記制度の基本となる重要な公簿である。したがって、その管理は厳重な注意をもってされるべきものである。そこで、登記官は、その職務を遂行するにあたり、「登記官ハ登記用紙ノ脱落ノ防止其他登記簿ノ保管ニ付キ常時注意スベシ」(不動産登記法施行細則九条)と一般的な注意義務が規定され、登記を閲覧させるにあたっては、「登記簿若クハ其附属書類又ハ地図若クハ建物所在図ノ閲覧ハ登記官ノ面前ニ於テ為サシムヘシ」(同細則三七条)とし、不動産登記事務取扱手続準則(昭和五二年九月三日法務省民三第四四七三号民事局長通達)二一二条は、

「登記簿若しくはその附属書類又は地図若しくは建物所在図を閲覧させる場合には、次の各号に留意しなければならない。

一  登記用紙又は図面の枚数を確認する等その抜取、脱落の防止に努めること。

二  登記用紙又は図面の汚損、記入及び改ざんの防止に厳重に注意すること。

三  閲覧者が筆記する場合には、毛筆及びペンの使用を禁ずること。

四  筆記の場合は、登記用紙又は図面を下敷にさせないこと。

五  閲覧中の喫煙を禁ずること。」

と規定している。そして、現実の取引社会においては、不動産登記簿謄、抄本が極めて信用性の高い資料として国民の信頼の対象となっており、不動産登記が重要な役割を果たしていることを考え併せるならば、登記官には、国家賠償法上も、登記簿を閲覧させるに当たり、登記用紙の抜取り、持ち出し等により不正記入がなされないよう厳重に監視すべき職務上の注意義務があると言わなければならない。

2 閲覧監視義務の具体的内容

本件不正行為は、閲覧の機会を利用して、前示のとおりの方法によってなされたものと推認されるが、その実行者、時期、具体的方法及び態様が明らかになっていない。そして、このような場合に、登記簿の閲覧の機会に本件不正行為が行われたということのみから、直ちに本件登記所の登記官に閲覧監視義務違反の過失があったものとすることはできず、原則として、不正行為の具体的内容との関連で、それを防止するための具体的な措置が採られていたか否かが問われるべきである。

しかし、不正行為の具体的内容が明らかになっていない本件の場合であっても、本件不正行為のされた当時(本件登記簿の甲区一番の所有権移転登記手続が行われた昭和六一年一月から本件売買契約の行われた昭和六二年二月ころまでの間)、本件登記所において現実にとられていた閲覧監視態勢が、当時の具体的状況下において、不正行為の防止という観点から一般的に要求される程度に達していたか否かについて判断し、仮にその閲覧監視態勢が一般に要求される程度に達しない不十分なものであれば、その不十分の程度に比例して不正行為が行われやすくなるから、登記官には閲覧監視義務違反があったと推認できる。逆に、本件登記所の登記官が、一般に要求される程度に達する閲覧監視態勢をとっていたのであれば、そもそも右のような推認はできないから、原則に従って、本件不正行為を現実に防止し得たはずの具体的閲覧監視義務違反が主張、立証されない限り、登記官に閲覧監視義務違反があったとは言えないと判断できることとなる。

そして、本件登記所の閲覧監視態勢が、不正行為の防止という観点から一般に要求される程度に達していたか否かにつていは、当時の本件登記所における事務の繁忙の程度、不正行為の行われる頻度、予想される不正行為の態様、その不正行為の防止のための措置の人的・物的手当ての内容、その措置の有効性の程度、右措置の実施により生ずる不都合、その人的・物的手当ての可能性等を総合的に考慮し、社会通念に従って判断することが必要である。

3 本件登記所における閲覧監視態勢

証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(本件登記所の事務の状況)

本件登記所には、昭和六一年四月当時、所長以下登記官三名を含む一七名の職員が配置されていた。右人員は昭和五三年度から増加されていないが、昭和六〇年に、臨時職員三名が新たに配置された(<書証番号略>)。

他方、本件登記所の事件数は年々増加しており、昭和六一年度の事件数は、甲号事件(不動産登記等の登記申請事件)が三万三九三八件、乙号事件(登記簿の謄本及び抄本の交付申請並びに閲覧申請、印鑑証明等事件)が一五八万二四四一件(うち謄本申請が三二万五八五〇件、抄本申請が七八七四件、閲覧申請が一二二万二七七〇件、証明申請が二万五九四七件)であり、昭和五三年当時と比べて乙号事件のうち登記簿の閲覧申請事件は約五倍に、登記簿謄本交付申請事件は約1.5倍になっていた(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。また、不動産登記簿の閲覧申請事件数は、一日あたり約八〇〇件にのぼり、閲覧時間帯の閲覧席は、ほぼ常に満席の状態であった(<書証番号略>)。

右のように、本件登記所は超繁忙庁であったが、このような状況は全国的なものであり、各地の登記所においてもその事務は繁忙を極めており、全国的に右状況に対応する職員の増加は期待できない状況であった。また、登記所の事務量軽減のために、法改正により登記事務のコンピューター化が進められている状況であり、本件登記所においても、当時、職員の増加は現実的可能性がなく、限られた数の職員で増加する事件数を処理しなければならなかったのであり、閲覧監視態勢についても、このような状況の下で実施されていた(証人石田、弁論の全趣旨)。

(本件登記所の不正行為防止措置)

本件登記所においては、当時、閲覧の際の不正行為を防止するため、次のような措置による閲覧監視態勢をとっていた。

(一) 本件登記所には、最大一六名が着席できる閲覧席が設置されている。この閲覧席は、二人掛けの事務机八脚を二脚ずつ向かい合わせにして四組が一列に並べられる形で設置されており、閲覧者はそれぞれの机に二名ずつ向かい合わせに着席し、閲覧者の手元が登記官から見通せるようになっていた。そして、閲覧場所は、三方から登記官や本件登記所職員の執務机でほぼ取り囲み、しかも、右のように一列になった閲覧席の両端方向から、一方には登記官三名の席を設けて、そのうち二名の席を閲覧席の方に向かって配置し、他方には窓口整理要員の職員二名の席を同じく閲覧席の方に向かって配置し、周囲の職員から常に閲覧者を監視できるようにしていた(<書証番号略>)。

(二) 自動的に常時一三〇度回転する監視用回転ミラー一個を閲覧席上方に設置し、閲覧席に相対していない統括登記官からも閲覧席全体が監視できるようにするとともに、閲覧者の不正行為を心理的にも抑制していた(<書証番号略>)。

(三) 閲覧に当たり注意すべき事項を記載したプラスチック製の掲示板を窓口及び閲覧席の机に設置していた(<書証番号略>)。

(四) 抜き取った登記用紙の持ち出し等に使用されるおそれのある鞄などの閲覧席への持込みを極力制限するために、無料のロッカーを一四個設置し、鞄等はすべてロッカーに入れさせるよう職員に指示していた(<書証番号略>)。

(五) 数人が、同一物件を閲覧申請した場合は、一人ずつ順番に閲覧させており、関係者数人が同行してきた場合も別々に閲覧させていた(<書証番号略>)。

(六) 職員のうち必ず一人は、閲覧者を監視しており、かつ、前示のように、登記官三名も事実上閲覧席を監視できる態勢をとっており、さらに、職員が倉庫に帳簿を取りに行くなどの度に閲覧者の動静に注意することとしており、職員全体が工夫して注意を払っていた(<書証番号略>)。

以上によれば、本件登記所においては、当時の人的・物的制約の下において、不正行為の防止のためにとり得る限りの相当な措置を講じていたと評価できる。

4 原告の主張する閲覧監視態勢の不備について

これに対し、原告は、本件不正行為が行われた当時の本件登記所の登記官の閲覧監視態勢は不十分である旨を主張しているので、この点を検討する。

(一) 原告は、まず、本件登記所においては、閲覧監視に専従する職員を配置し、あるいは、職員が輪番で閲覧監視に専従する態勢をとっていなかったから、本件登記所の閲覧監視態勢は不十分であったと主張する。

確かに、不正行為を防止するための措置として、専従の閲覧監視員を配置することが望ましいことは言うまでもない。そして、本件登記所においては、閲覧に専従する職員は配置されなかったことが認められる(<書証番号略>)。

しかしながら、本件登記所における当時の人的・物的状況においては、閲覧監視専従の職員を配置することは、現実には不可能な状態にあったことは前示のとおりであり、このような当該登記所の繁忙状況等を無視し、閲覧監視の専従職員を配置していないことのみをもって直ちにそのような監視態勢が不十分なものであると評価することはできないものと言わなければならない。たとえ閲覧監視専従の職員が配置されていなくとも、その他の方法により閲覧監視が十分になされているのであれば、当該登記所における閲覧監視態勢が不十分とされるいわれはない。

そうすると、本件登記所においては、閲覧監視専従の職員は配置されていなかったが、前示のとおり、当時の人的・物的状況の下でとり得る限りの相当な措置を講じていたのであり、加えて、仮に当時の限られた職員数の中から専従の閲覧監視員を配置した場合に考えられるところの本件登記所の事務の遅滞等から生ずる不都合及び不正行為が発生する可能性の僅少さをも考慮するならば、専従職員を配置していないことをもって、本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であったと言うことはできないと言うべきである。

(二) 次に、原告は、登記官は、閲覧の前後に登記簿冊の枚数を確認し、閲覧後に簿冊の返還を受けるにあたり、異常の有無を調査するべきであったと主張する。そして、本件登記所においては、このような措置(確認措置)がとられていなかったことが認められる(<書証番号略>)。

確かに、閲覧の前後で枚数を確認すれば、登記用紙の抜取りがなされていた場合には、これを発見し、本件記載がなされることを防止できた可能性が高いとも言えるし、閲覧後に登記用紙の異常を確認していれば、あるいは、不正記入を発見し、本件記載がなされることを防止できた可能性もあり得たと言い得る。そして、前示の準則二一二条一号も、登記用紙の抜取り、脱落の防止のための方法として、枚数を確認する方法を挙げているのである。

しかしながら、法といえども不可能を強いるものではない。したがって、本件登記所が右の枚数確認を実施していなかったことが、本件登記所の監視態勢が不十分であったということになるのか否かについては、前示のように、登記所の事務の繁忙化が全国的な傾向である状況をも考慮に入れ、また、右規定が挙げている枚数確認の方法が、不正行為の防止の一例として位置付けられるに至った改正経過等にも照らして、検討を加える必要がある。

そこで検討するに、閲覧申請の度に逐一右確認措置を実施することは、相当の労力と時間を要求されるものであり、職員の負担が増大することは明らかであるから、それによって、登記所全体の日々の事務処理の遅延を招来し、ひいては登記所を利用する国民全体の利益を損なうことにもなりかねない。本件登記所においては、一日の閲覧申請件数は、公図等を含めて八〇〇件前後であり、一冊の簿冊には三〇ないし八〇筆の登記用紙が編綴されていたから、点検を要する枚数は膨大な数にのぼる(<書証番号略>)。そして、前示のとおり、本件登記所において職員の増加は期待できない状況であり、確認措置を実施するとすれば、若干の増員では足りず、少なくとも倍以上(本件登記所の当時の支局長石田貞三の証言によると四、五倍)の増員が必要であったというのであるから、当時、本件登記所において、確認措置を実施することは現実的に不可能であったと言わねばならない(<書証番号略>)。

その上、本件不正行為のような事件が頻繁に生じているというのであれば格別、不正行為の発生は、極めて少数であるばかりか、たとえ枚数確認をしても、登記用紙の抜取りの際に紙質の似た用紙が挟み込まれる方法や、登記簿を受領してから返還するまでの間に共犯者が抜き取った登記用紙を外部へ持ち出して改ざんするという方法で行われる場合には、閲覧前後の枚数確認による発覚を容易に免れることができるし、また、本件のように不正記入が本件登記所で使用されているものと酷似した活字などによって記載された場合には、その記載の外観からは、それが不正にされたものかどうかを容易に見破ることはできない。そうすると、ここで問題とされている確認措置を実施したとしても、本件のような不正行為を発見することができたかどうかは疑わしい。したがって、本件登記所において確認措置を実施することは、かえって日々の登記簿閲覧の円滑な実施を阻害する結果につながりかねないのであって、現実的な措置であるとは言えず、社会通念に照らし、右確認措置をとっていなかったからといって、本件登記所の閲覧監視態勢が不十分なものであったとは言えない。

(三) さらに、原告は、閲覧席への鞄等の所持品持込みを禁止すべきであったのに、本件登記所においては、これが実施されていなかったと主張する。そして、本件登記所においては、閲覧者の所持品については、メモ程度のノート、用紙の持込みが許されていたことが認められる(<書証番号略>)。

確かに、不正行為が本件のような方法によりされた場合には、実行者が、閲覧席へ持ち込んだノートなどを利用して、登記用紙あるいは登記簿冊の持ち出しを実行するものと考えられるから、所持品の持込みを一切禁止していれば、本件不正行為が成功に終わらず、本件記載がなされることを防止できた可能性が高いとも言える。

しかしながら、前示のとおり、不動産登記簿の閲覧制度は、不動産に関する権利関係を公示して、国民の閲覧に供し、もって不動産取引の安全を確保するという不動産登記制度の趣旨に基づくものであり、閲覧者は、不動産登記簿上の不動産の権利関係を確認、調査するため、閲覧制度を利用するのである。そうすると、閲覧者が登記簿の閲覧に際して、登記簿上の権利関係を確認するためにメモをとったり、登記簿と持参した書類とを比較検討したり、あるいは対象不動産に関する関係書類等を参照することなどは、閲覧制度上、ある程度やむを得ないものと言わなければならない。そうであれば、閲覧者が、閲覧席へメモ用紙やノート等を持ち込むことまでをも禁止することは、閲覧制度の機能を鈍麻させ、かえって日々の登記簿閲覧の円滑な実施を阻害する結果になりかねないのであり、所持品持込みを絶対的に禁止することは、現実的な措置であると言い得るか疑わしい。したがって、本件登記所において、所持品持込みが絶対的に禁止されていなかったことをもって、本件登記所の登記官の閲覧監視態勢が不十分であったと言うことはできない。

もっとも、このように、メモ用紙程度のものの持込みまでをも禁止することはできないとしても、不正行為防止の観点から、前示の閲覧制度の要請に鑑みて相当と判断しうるもの以外は、これを厳重に監視して持ち込ませないようにすることは、登記官に課せられた注意義務である。

これを本件登記所について見ると、メモ用紙、ノートなどの持込みは許していたものの、それ以外の所持品持込みは禁止する措置をとっており、鞄などの所持品を持ち込ませないためにロッカーを設置するとともに、筆記用具以外の荷物等の所持品はロッカーに入れるように指示した掲示板を掲げ、さらに、閲覧席まで鞄類を持ち込もうとする者がいた場合には、係員がチェックして、これをロッカーに入れるよう指示していたことが認められる(<書証番号略>)。そうすると、本件登記所においては、不正行為防止の観点から要求される所持品の持込み制限を実施していたものであって、本件登記所の登記官は、登記官に要求される前示の注意義務を果たしていたものと評価できる。

この点に関し、原告は、本件登記所においては、所持品持込みの禁止は事実上実施されていないと主張し、証人雨宮は、本件当時、本件登記所において、B四の用紙が入る位の大きさのチャックがついた鞄を持って閲覧席へ入ったが、本件登記所の職員らからは何もチェックされなかったと証言する(<書証番号略>)。しかしながら、所持品持込みの絶対的禁止が要求されているのであれば格別、前示のとおり、閲覧の目的を達するに必要最低限の所持品の持込みは認めざるを得ないのであるが、その具体的な内容については、持ち込まれようとする所持品の大きさ、形状などから、具体的な状況の下において、現場の職員が、その都度判断せざるを得ないのであり、B四程度の大きさの鞄の持込みが許されたからといって、必ずしも、前示の不正行為防止の観点からする所持品の持込み制限が実施されていなかったと断言することは困難である。そして、原告の従業員が撮影した<書証番号略>によっても、メモ用紙又はこれに相当する程度の書類ないしは書類鞄様のものが持ち込まれていることがうかがえるものの、前示の趣旨に照らして、当然持込みを禁止されるべきであるような大きな鞄、紙袋等が持ち込まれている様子はうかがえない。

そうであれば、所持品持込み制限についても、本件登記所の閲覧監視態勢が不十分なものであったということはできない。

(四) また、原告は、本件登記所においては、一度に閲覧できる登記簿冊の数を制限していなかったと主張し、本件登記所においては、一回に閲覧できる登記簿の冊数や公図の枚数に制限がなかったことが認められる(<書証番号略>)。

確かに、複数冊の登記簿を同時に閲覧することができれば、これら多数の登記簿冊によって、閲覧者の手元を隠し、登記用紙の抜取りを容易にし、あるいは、多数の登記簿冊に紛れて、簿冊ごと持ち出すことが容易になるとも言える。

しかしながら、前示のとおり、本件登記所においては、閲覧席の両横方向に登記官及び職員の席を配置して、閲覧者の手元が見通せるようにするとともに、監視ミラーも設置して、上背部からも閲覧者を監視できるようにしていたことが認められるから、たとえ複数の登記簿冊が閲覧机上に置かれることがあっても、これによって、職員らの席からの見通しが全く妨げられる状態になるとは認められない。

そうであれば、本件登記所においては、前示のような閲覧監視態勢の下で、複数の登記簿冊等の閲覧を制限していなかったことをもって、本件登記所の閲覧監視態勢が不十分であったと言うことはできない。

5 結論

以上によれば、本件登記所の閲覧監視態勢について、原告が指摘する点は、いずれも、閲覧監視態勢が不十分であるとする根拠にはならないと言わざるを得ない。そして、前記3で判示したとおり、本件登記所においては、当時の人的・物的状況の下において相当な措置を講じていた等の点を総合するならば、本件登記所の閲覧監視態勢は、不正行為の防止という観点から、一般に要求される程度に達していたと言うべきである。

そうすると、結果として、閲覧の機会に、本件不正行為が行われたとしても、そのことから直ちに本件登記所の登記官に閲覧監視義務違反があったと推認することはできないと言わなければならない。そして、本件全証拠及び弁論の全趣旨によっても、本件不正行為の具体的内容が明らかになっていない以上、本件において、登記官に本件不正行為を現実に防止し得たはずの具体的注意義務違反があったことまでをも認定することができるような事実関係の主張、立証もないと言わざるを得ない。

したがって、結局、本件登記所の登記官には、閲覧監視義務違反の過失がある旨の原告の主張は理由がない。

三「登記済」証等の印章の保管使用についての過失について

前記一の2に判示したとおり、本件記載は、本件登記所において使用されていた印鑑と酷似した登記官印が使用されているが、これは偽造のものであって、本件登記所の印章が不正使用されたものではない。また、証拠(<書証番号略>、証人石田)によれば、沼上名義の登記済権利証の「登記済」等の印影も、本件登記所において使用されていたものと酷似しているが、これらは偽造のものであって、本件登記所の印章が不正使用されたものではないことが認められる。

したがって、本件登記所の登記官には、「登記済」の印章等の保管、使用に関する過失がある旨の原告の主張は理由がない。

四登記簿謄本作成交付に当たっての過失について

証拠(<書証番号略>)によれば、昭和六二年二月一二日、本件登記所の登記官石田貞三によって、本件記載のある本件土地の登記簿謄本が作成交付されたことが認められる。

登記官の登記簿謄本の作成は、登記簿原本に記載されているところを全部遺漏なく写し取ることであり、細則三五条の二が、登記簿の謄本は「登記簿一用紙ノ全部ヲ遺漏ナク謄写シテ之ヲ作ルヘシ」と規定し、準則二〇九条一号が、登記簿の謄本、抄本等を作成、交付する場合には「原本と相違がないことを厳重に確かめなければならない」(同条一号)、と要求しているのも、この趣旨を含んでいると解される。そして、登記簿が不動産の権利関係を公証するものであることに鑑みれば、登記簿原本に不実の記載が含まれている場合は、登記官は、これを除いて謄本を作成するべきであり、その不実記載が一見して看破しうるようなものであるのにこれを看過したような場合は、登記官に過失があるといわざるを得ない。しかし、不実の記載が行なわれること自体稀であることからすれば、これについての点検は、登記官が肉眼により行なえば足りると解すべきであるから、不実の記載が精巧に行なわれ、肉眼による通常の点検だけでは発見できないようなものである場合は、登記官に過失があると言うことはできないと言うべきである。

これを本件についてみると、前示のとおり、本件記載は、正規の記載例に酷似したタイプ活字を使用しており、また、偽造の登記官印の印影も本件登記所に在職していた元登記官浅見の登記官印と酷似している。そうすると、本件登記簿上の本件記載は、登記簿謄本を作成、交付する登記官が、本件登記簿を肉眼で点検しても一見して容易に発見することができないようなものであると認められるから、それを看過して本件登記簿謄本を作成、交付したことにつき、登記官に過失はないと言うべきである。

五登記申請書受理についての過失

登記官は、登記申請を受理するにあたって、申請書に添付された権利関係の書類等を点検し、不実の登記申請を受理しないようにすべきであり、右書類等に一見して看破しうるような不実記載があるのに、これを看過したような場合には、登記官に過失があるといわざるを得ない。しかし、この点の点検が、肉眼で行えば足ることは前示と同様であるところ、本件においては、沼上から原告への所有権移転登記申請に当たり添付書類として提出された登記済証及び印鑑証明書は、正規の登記官印等と酷似した印章を使用し、極めて精巧に偽造されたものであり、肉眼で一見して発見できないようなものであることが認められる(<書証番号略>)。したがって、これを看過して登記申請書を受理したことにつき、登記官に過失はないと言うべきである。

また、原告は、右の際に提出した固定資産評価証明書が長島名義のものであり(<書証番号略>)、登記義務者たる沼上のものでなかったから、本件登記所の登記官は当然に疑念を抱くべきであったのに、これを看過して登記申請を受理した過失があると主張する。しかしながら、固定資産評価証明書は、登録免許税の課税標準価格を登記官が認定するための参考資料として提出されるものであり、不動産登記法四九条八号に規定する登記申請の必要書類ではない。その上、登記簿上、所有名義人の異動があった場合であっても、登記所から市町村への連絡があってから固定資産課税台帳の記載を変更するまでには相当の期間を要するのであり、熊谷市の場合は四月から翌年三月まで異動しない扱いとなっていたことが認められる(<書証番号略>)。そうであれば、原告の登記申請の際に、前登記名義人であった長島名義の固定資産評価証明書を提出したとしても、それだけをもって登記官が疑念を抱くべきであったと言うことは困難である。

したがって、原告の右登記申請を受理したことにつき、登記官に過失はないと言うべきである。

六職権抹消登記の違法性について

本件記載が不正記入であることは当事者間に争いがないところ、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、本件登記簿謄本の甲区二番の沼上平治の所有権移転登記は、不正記入のために昭和六二年三月一一日付けで消除され、その結果、甲区三番の原告への所有権移転登記が無効な登記であることが登記簿上も一見して明白となったため、右登記は、同年三月二六日、不動産登記法一四九条一項、四九条二号に基づき職権抹消されたことが認められる。

右事実によれば、右消除・職権抹消は、いずれも適法にされたものであるというべきであるから、この点に関する原告の主張は理由がない。

七以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却する。

(裁判長裁判官宮﨑公男 裁判官井上哲男 裁判官河合覚子)

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